大手拓次

大手拓次 手紙で説く詩人の勉強法「毎日の復習」

大手拓次のアドバイス

詩人の大手拓次には、十歳年少で弟のように可愛がっていた和歌雄という友人がいた。

拓次が二十六歳の頃、大切な試験を三月に控えたこの和歌雄少年に、自身が体験上勧める勉強法について手紙で丁寧な助言を送っている。その勉強法は、今も通じるシンプルな方法だ。

たとえば、「嫌いな科目ほど熱心に行う」こと。そうすれば次第にその科目が好きになっていく。また、「予習は大事である」ということ。そして何よりも拓次自身が繰り返し主張し、括弧で強調している大事なポイントというのが「毎日の復習」だった。

たった三通の手紙に、「毎日の復習」という文字が十一度も入っていることからも、彼がどれほどそのことを大切にしていたかが分かる。

拓次は比喩を交えつつ、次のように少年に説いた。

学校から帰ったら、その日に教わったことを復習して、とにかく頭に放り入れること。確かに、それは時間とともに忘れていくかもしれない。しかし、「全く忘れる」ということはない。一見すると忘れたように思えても、肝心な部分はしっかりと覚えているものだ。

たとえば、様々な友人に、学校と家、毎日二度会うとして、三ヶ月もすれば九十人になる。その九十人の顔の特徴を、「何もかも忘れている」ということはない。

あとで見れば、ふっと記憶が蘇ってくる。これが仮に一日に九十人同時に会ったのでは、どれほど覚えようとしても、決して覚えられるものではない。たとえ覚えられたとしても、それは真実に覚えたとは言えず、いっぺんに覚えたものは、またいっぺんに忘れていくに違いない。

それですから、「毎日の復習」は少しずつ、少しずつ頭の中に入れるのですから、その事が好く消化されて、確固とした自分の知識になるのです。それを一時に沢山詰め込むと、それが腹の中へ入っても、胃が消化することが出来ないで、それは少しも身体の滋養(血にも肉にも)にならないで下ってしまいます。

大手拓次『大手拓次全集 第5巻日記・書簡他』より

最後に、もし解らない点があれば、赤い鉛筆で印をつけておき、友だちなり、先生なり、また私に訊いてほしい、と拓次は添えた。

そして、この手法は自分自身の経験からも好成績を保証できるものなので、「毎日の復習」だけはしっかりと行うこと、と十一度目の念を押し、手紙を終えた。