夏目漱石

夏目漱石 芥川龍之介に宛てた手紙

夏目漱石 芥川龍之介に宛てた手紙

明治の文豪夏目漱石は、その生涯で多くの手紙を残し、その数は2500通にものぼる。この夏目漱石の晩年の手紙(1916年、漱石49歳の頃)には、まだ東京大学英文科の学生だった芥川龍之介に宛てて送られた励ましや賞賛(芥川の書いた『鼻』を賞賛)の手紙もある。芥川は、前年12月に、紹介者とともに漱石のもとを訪れ、漱石のことを先生として慕うようになっていた。芥川龍之介にとって漱石は生涯に渡って「先生」であり、『葬儀記』『漱石先生の話』など夏目漱石に関する文章も数多く残している。

大正5年(1916)2月19日朝、漱石は筆と墨を使い巻紙にすらすらと達筆の文字を書き連ねていた。東京帝国大学の英文科に在籍する芥川龍之介に宛てて、手紙を書いているのだった。漱石の傍らには、読み終えたばかりの同人誌『新思潮』(第4次)の創刊号が置いてあった。龍之介は、前年12月に紹介者とともに漱石山房を訪れ、以来、木曜会(漱石の教え子や門下生が集まって様々な議論をした会合)に顔を出すようになった新しい漱石の門下生であった。

出典 : 夏目漱石、無名の文学青年・芥川龍之介の短編小説に仰天する【日めくり漱石/2月19日】

それまでは自信がなく、仲間内からも評価されず、小説を書くのをやめたらどうか、とまで言ってくるような手紙も届くほどの無名の文学青年だった芥川龍之介だったが、漱石からの手紙は、芥川の作家人生にとって大きな分岐点となった。夏目漱石が若き芥川龍之介に宛てて送った手紙(二通目以降は久米正雄と二人に宛てた手紙)には、周囲の声など気にすることなく、ずんずん進みなさい、と綴られている。

あなたのものは大変面白いと思います。落ち着きがあって巫山戯(ふざけ)ていなくって、自然そのままの可笑味(おかしみ)がおっとり出ている所に上品な趣があります。それから材料が非常に新しいのが眼につきます。文章が要領を得てよく整っています。敬服しました。

ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます。しかし「鼻」だけでは恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れてもみんなが黙過するでしょう。そんな事に頓着しないで、ずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かない方が身体の薬です。(1916年2月19日)

 

勉強をしますか、何か書きますか。君方は新時代の作家になるつもりでしょう。僕もそのつもりであなた方の将来を見ています。

どうぞ偉くなって下さい。しかしむやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です。

(中略)

私はこんな長い手紙をただ書くのです。永い日が何時までもつづいてどうしても日が暮れないという証拠に書くのです。そういう心持の中に入っている自分を君らに紹介するために書くのです。

それからそういう心持でいる事を自分で味って見るために書くのです。日は長いのです。四方は蝉の声で埋っています。(1916年8月21日)

 

この手紙をもう一本君らに上げます。君らの手紙があまりに溌剌(はつらつ)としているので、無精の僕ももう一度君らに向かって何かいいたくなったのです。いわば君らの若々しい青春の気が老人の僕を若返らせたのです。

(中略)

君方は能(よ)く本を読むから感心です。しかもそれを軽蔑し得るために読むんだから偉い。(ひやかすのじゃありません、誉めてるんです)。

(中略)

ああ、そうだ、そうだ、芥川君の作物の事だ。大変神経を悩ませているように久米君(*久米正雄)も自分も書いて来たが、それは受け合います。君の作物はちゃんと手腕がきまっているのです。決してある程度以下には書こうとしても書けないからです。

久米君の方は好いものを書く代わりに時としては、どっかり落ちないとも限らないように思えますが、君の方はそんな訳のあり得ない作風ですから大丈夫です。

(中略)

牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老獪なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。

あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可(いけま)せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。

決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押して行くのです。

何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。(1916年8月24日)

夏目漱石『漱石書簡集』より

手紙だけでなく、芥川龍之介のもとに大手雑誌から執筆依頼が舞い込むようになり、これも漱石が推薦したと言われている。