ひらがなで書く手紙の候文
作家の手紙を読んでいると、ときおり出会う「候文(そうろうぶん)」。
候文とは、丁重な文語体で書くとき、文末に助動詞として「候」をつける文章を言います。以下、使用範囲についてはウィキペディアの解説を引用します。
江戸期の「候文」の特徴は、使われる文字と文体である。何らかの目的を持って、相手に自分の意志を伝えるために書かれたものが多い(たとえば書簡の文など)。使われる文字は、漢字の行草書・異体字・変体仮名・行草書の漢文の助辞・ひらがな・カタカナ・合字など(「くずし字」参照)。
さらに、明治時代のみならず、昭和初期においても、一部の私的な書簡や外交文書などに用いられた。講談社「吉川英治全集」の「書簡集」の巻(1984年)によれば、収録されている書簡で候文のものは1954年(昭和29年)が最後である(吉川はこの頃皇居に招かれているがその件での入江相政への礼状は口語体である)。
なお、信書にも候文が使われていたため、現在でも企業等において「致し度」や「為念」などの候文由来の文体が使われている。
wikipedia「候文」より
この候文、形式張った場面で使われ、手紙でも敬意を表するニュアンスがあるため、個人的には漢字だらけの肩肘張った文面で見ることが多い印象を持っていました。
そのため、詩人の新美南吉の手紙で、候文が「そろ」とひらがなになっているのを見たときは、とても新鮮に見えました。
語尾に「そろ」とあり、どこか可愛いげさえあり、読み進めてしばらくは、それが「候」のことだとは気づきませんでした。

てつぽう風呂に月の光も入れて、遠い蛙の声もきける夜頃となりまうしそろ
これは、新美南吉が晩年である28歳の頃に、同じ北原白秋の門下生で同郷の童謡詩人、歌見誠一に宛てた手紙です。
こういう多少クダけた文面で候文というのが、不思議な組み合わせのように感じられます。