中原中也 四谷花園アパートと酒癖
青山学院
仕事もせず文学にふける息子を見兼ねた母親にうながされ、中原中也は二十六歳のときに遠い親戚関係にある孝子とお見合い結婚をした。
孝子とはよほど気が合ったのか、あるいは器量のよい女性だったからか、気難しい中也にしては珍しく縁談は円滑に進んだ。
お母さん、あなたは中也さんがガミガミいうときに、真面目になって聞いてじゃからいけんのです。私のようにケタケタ笑っていらっしゃいよ。そうすると、向こうは怒っているのがはりあいがないから、怒るのをやめますよ。(中原中也の妻、孝子)
— 作家の手紙 (@writers_letter) 2018年1月19日
新婚夫婦は、友人で装幀家の青山二郎の住む四谷花園アパートに移り住み、青山や周辺の人々と親交を深めた(中也は仲良くなりたいと思うとすぐ家の近所に引っ越す癖があった)。
四谷花園アパートは新宿の遊郭や歓楽街のすぐ近くにあり、近所には怪しい雰囲気の建物や旅館なども多く建ち並んでいたが、ひとたび青山の部屋の扉を開くと、室内には新宿界隈であることを忘れさせるほどの趣ある空間が広がっていた。
芸術の世界に造詣の深かった青山の部屋には数多くの若い作家たちが溜まり場として集まり、青山の家は冗談交じりに「青山学院」などと呼ばれることもあった。
同じアパートに引っ越した中也も、「ジイちゃん(青山のあだ名)、いる?」と声をかけてはパジャマ姿のままよく「青山学院」を訪れた。
中也は、青山の部屋を訪れるたびに室内に置かれた英国製の古く味わい深い椅子に座った。その椅子が彼の定位置だったが、残念ながら椅子は外国製のため大ぶりで、わずか五尺(150cm)ほどの身長しかなかった中也の足では足先が届かず、椅子の上にあぐらで座った。
外国製の椅子にあぐら、という格好で座りながら、中也は酒を飲み、誰に頼まれるわけでもないのに自ら自作の詩の朗読を始める。しゃがれた声に悲しみを滲ませた声、想いを込めるように抑揚をつけながら、小柄な無名の詩人は未発表の新作を披露した。
しかし、中也の詩を誰も待ち望んではいなかったので中也が朗読を始めるたびに周囲は「またか……」と辟易し、部屋中に白けた空気が流れるのが常だった。
酒癖の悪さ
中原中也は、二人でいるときは心根の優しい性格だったが、酒癖の悪さは有名で、特に大勢の人たちと一緒の席で酒が入ると性格は暴力的に一変した。中也の酒癖の酷さを物語る有名なエピソードがある。
その日はいつものように若い作家たちが四谷花園アパートに集まって酒を飲み、議論を交わしていた。ところが、ひょんなことから、中也は自分よりも年下の評論家中村光夫と口論になった。
詩人の中也にとって論理で蓋をしようとする「評論家」の類は日頃から許せない存在だった。その感情の根っこには、親友であり評論家でもある小林秀雄に恋人を奪われた過去も影響しているのかもしれない。
中也と中村の口論は、たちまちエスカレートしていった。そして、ついに沸点に到達した中也は中村に向かって「殺すぞ!」と声を荒げると、手に持っていたビール瓶で中村の頭を殴りつけた。その中也の暴挙に、中村も酔いがまわって感覚が麻痺していたのか、「だからどうした」とばかりに平然とした素振りで応じ、いったん騒動は収まるように思えた。
しかし、その様子に怒りをあらわにしたのが、部屋の主である青山だった。
普段は温厚な青山だったが、このときは珍しく感情をむき出しにし、「殺すつもりなら、なぜ縁ではなく横っ腹で殴った。卑怯だぞ!」と中也を怒鳴りつけたのだった。
青山の怒声に中也ははっと黙り込み、右手にビール瓶をぶら下げたまま、その場に立ち尽くした。そして、中村と青山の顔を交互に見比べると、中也は「俺は悲しい!」と叫んで床に泣き伏せてしまった。
中也の泣き叫ぶ声が、部屋中に響き、次第にその悲しみは周囲に伝染していった。
中也の声に、不思議とその場の誰もが悲しく、中村の恨みがましい想いも薄れ、もつれた糸がほどけていくように部屋は静まり返っていった。