中原中也

中原中也 日記にふと零した弱音

日記に綴られた弱音

中原中也は、詩人としてはほとんど無名のまま三十歳の若さで亡くなった。しかし、中也は、たとえ周囲が作家として名が売れ、自分だけが一向に認められずにいようとも、死の直前まで未来を見据え、強気な姿勢を崩すことはなかった。詩人としての確かな矜持があった。二十歳の頃に、中也は日記(中也の日記は詩に関することばかりだった)に、ある一つの確信について書きつけている。

ああ、私には何もかも分かった。科学的にでも神秘学的にでも何的にでも! そして今何も言えない。しかし私は知ってる、好い歌を歌ふだろうと。

中原中也『新編中原中也全集 (5) 日記・書簡』より

生涯就職もしなかったが、一度だけ、遠縁のつてで受けたNHKの面接では、履歴書の備考欄に「詩的生活」とだけ書き、面接官が、「これでは面接にならない」と言うと、「それ以外の履歴が私にとって何か意味があるのですか」と答えた(もちろん不採用だった)。中原中也にとっては、人生そのものが詩人だった。ところが、そんな強気の中也が、ふと弱音を書き残したことがあった。それは、1935年5月1日。先の日記から8年後のことであり、死の2年前になる。中也は、悲しい夢を見たと日記に綴る。

悲しい悲しいことだった。僕は小学校の卒業式の後のことを夢にみた。校庭で、みんなとりどりのことをしていた。砂の上に坐っているものもあれば、しゃがんで先生と話をしている者もあった。色んな先生の、その頭の生地までが、まざまざと見えて来るのであったが。

目覚めると、雨が沛然(はいぜん)と降っていた。薄明の部屋に、電燈の傘はクラゲのように、天井から下がっていた。時計をみると、四時半であった。ある日僕が、雨の日の海の沖に行って、そこで寒天になって、そしてお喋りをしている、というようなことが、あるかも知れないし、このままこうして布団の上で、半透明体になろうも知れぬ。

半透明体になろうも何になろうも知れぬとしても、僕は早く御飯を食べて、また不透明体の健全な人間にならねばならぬと思った。

僕は、つましい月給取達を思って、無限に羨ましかった。僕は、僕の、バカげた心を、もういとおしいとは思わなかった。

平凡な市民になれぬということは、ではまづいことなのであろうか?

中原中也『新編中原中也全集 (5) 日記・書簡』より

今までずっと大切に育んできた「僕の、バカげた心」を、もう愛おしいとは思えなかった。しかし、平凡な市民にもなれなかった中也は、「ではそれがまずいことなのだろうか」と、誰にともなく問いかけたのだった。