中原中也の「肉声」を収めた「名言集」
詩人の中原中也は、1937年に30歳という若さで病気のため亡くなります。
当時、すでに映像や音声を記録する機械はあったものの、まだほとんど無名だったこともあり、中原中也の動いている映像や肉声は記録としては残っていません。
中也は、よく友人らの前で自身の詩を感情を込めて朗読しました。しかし、そのたびに周囲は辟易し、場は白けたそうです。彼の死後、友人の一人である青山二郎は、その声を残しておけばよかった、と語っています。
生きるべし、死ぬべし、生きるべし!
— 中原中也 (@_chuyanakahara) 2019年4月27日
残念ながら、あるいは幸いなことに、読者は、周囲の人々の思い出や手紙から、中原中也の動いている姿や声を推測する以外にありません。
そこで、こうした中也の「人物像」をありありと浮かび上がらせる一冊として最適な、一風変わった「名言集」があります。
彩図社文芸部が中原中也生誕百周年記念企画として出版した、『名言 中原中也』です。
この本は、中原中也の日記や手紙、また彼の死後、家族や友人らが中也との思い出について語った文章から、中也本人の「肉声」だけをまとめた、とても珍しい「名言集」です。
本書は、「友人の章」から始まり、恋人、幼少、芸術、文也(中也の息子で、二歳のときに病死)、生活、母親、最後に名詩十選という構成となっています。
以下、この「名言集」から、中原中也の「肉声」を紹介したいと思います。
幼い頃の中也の口癖だった。「いいのよ」と答えても、何遍も繰り返した(『名言 中原中也』より)。
中也は傍若無人な振る舞いをすることがあった。生涯を通じて付き合うことになる高森文夫と初対面のとき、丁寧に話す高森に対して、吐き捨てるようにこう言った(『名言 中原中也』より)

中也は小林の家で文学仲間と議論を戦わせた。酒の入っていないときはおとなしく見えたが、泥酔すると、いつもの調子になった。家の三毛猫を見かけると、こう言ってつかまえようとしたという。ちなみに捕獲に成功したことはない(『名言 中原中也』より)
文也が亡くなる六日前の日記。急逝するとは思ってもいなかった(『名言 中原中也』より)小説家・牧野信一が自殺したことに対して述べたもの。弟を二人亡くし、父を亡くし、友人富永を亡くし、息子文也を亡くした中也にとって、死とは思った以上に近いところにあったのかもしれない(『名言 中原中也』より)
一度だけ就職活動をしたことがある。親戚のコネを使いNHKの面接を受けた。しかし、履歴書の備考欄には「詩生活」としか書いておらず、面接官に「これでは履歴書にならない」と言われてしまう。それに中也はこう答えた。詩しかできなかった(『名言 中原中也』より)
詩人としてしか生きられなかった中也。悲しくも強い意識がみなぎっている(『名言 中原中也』より)。
この名言集、選ばれた言葉もバランスがよく、横に小さく書かれた注釈も絶妙で、中也の人となりがしみじみと伝わってくるものばかりです。
中也の友人で作家の小林秀雄は、中原中也について「詩人というよりも告白者だ」と語っています。
彼の詩は、彼の生活に密着していた、痛ましい程。笑おうとして彼の笑いが歪んだそのままの形で、歌おうとして詩は歪んだ。これは詩人の創り出した調和ではない。中原は、言わば人生に衝突する様に、詩にも衝突した詩人であった。彼は詩人というより寧ろ告白者だ。
中原中也の詩は、彼の「生活」と分かち難く結びついていました。
中也の「肉声」を聴いたあとで彼の詩を読むと、まるで大ぶりの椅子にあぐらで座って得意げに、そしてどこか寂しげに朗読する中也の姿が浮かんでくるようです。