中原中也

中原中也 酒場「ウインゾア」と一人の詩人

酒場ウインゾアと中原中也

東京の京橋を渡った八重洲通りの手前に、かつて「ウインゾア」という一軒のモダンな酒場があった。

酒場は、昭和六年の暮れ頃に開店。骨董の収集や美術評論に定評のあった青山二郎がこだわりを持ってつくった店である。

ウインゾアは、青山二郎の周辺に集まる多くの文学仲間たちの溜まり場にもなり、店には、小林秀雄や井伏鱒二、大岡昇平といった著名な若い作家たちの他に、骨董屋から工芸職人、画家など様々な表現者たちも集まった。

店舗の広さは十坪程度。三分の二が煉瓦敷きで、英国風の凝った内装が特徴。酒場の主人は、音楽家でもあった青山の義弟夫婦が請け負い、手伝いの女性として一時長谷川泰子も働いた。

しかし、集いの場であるウインゾアは、まもなく閉店を余儀なくされることになった。

原因は、詩人の中原中也にあった。

青山自身、「店の常連だった中原によって潰された」と述懐する。

その頃中也は、日が暮れてまもなくすると、誰かと話したいがために(「私塾でも開いたように」)ウインゾアを訪れた。

そして、ほとんど酒代も落とさずに、毎晩のように遅くまで店に居座ったのである。

挙句、見知らぬ客の話でさえも割り込んでいっては喧嘩を繰り広げた。たちの悪いことに、中也はそのことを「詩人の使命」とさえ考えた。

とにかく中原中也の対人関係では、常識というものが通用しなかった。隣り合った他人の話にも、それが場にふさわしいものでなければ口をはさみこむ。いや、彼は酒場で話される様々な声に反応して、すべての違和感を取り払おうとした。

それも彼独特の毒舌で違和感を振り払おうとするのだから、他人はこれを拒否する。そこで喧嘩がはじまるわけだが、腕力は弱かった。なぐられるのはいつも彼の方であった。

けれども彼は性懲りもなく、関係のない他人の会話にも割り込んでいく。

それが詩人に課せられた使命と考えていたから始末が悪い。

村上護『四谷花園アパート』より

こうして中也が誰かれ構わず喧嘩を吹っかけたために、次第にウインゾアから客は離れていった。

その結果、一人の小柄な詩人によって、ウインゾアはわずか一年足らずで閉店せざるを得なくなったのである。

ウインゾアと中原中也の関係性について、この気難しい中也に寄り添った数少ない友人のひとりである安原喜弘は次のように振り返っている。

此処に毎晩殆ど主なる顔ぶれが揃うのであるが、彼はどうしてもそこへ行くことを主張するのである。私はなんとかして行かせまいと力を尽くすのだが、結局は彼の体はそこのドアを開けてしまうのである。私のいないときは尚更である。

そこで彼の毒舌はいやが上にも散乱し、そして最後にはいつもの乱酔と乱闘に終る日々が続くのである。こうして彼は嘗て彼の最も親しかった友人達とまた最も憎み合わねばならなかったのだ。

安原喜弘『中原中也の手紙』より

中也は、その寂しさゆえにウインゾアを求め、その寂しさゆえに乱酔し、そして、その寂しさゆえに、自らの手でウインゾアを握りつぶしてしまったのだった。